上:リドリー・スコット

 ウォルター・パークスとダグラス・ウィックは、ジャン=レオン・ジェロームが描いた『指し降ろされた親指』の複製を見せてくれた。その絵は、プロポーション、構成、光と影やその他のすべてを通して、ローマ人の生活が垣間見れるように完璧に表現されていた。「トーガ(古代ローマの公民服)とサンダルの出る映画は、40年前に消滅したはずではなかったのか?」 この世界を再び訪問できるとはなんと魅力的なことだろう。というわけで私は夢中になってしまった。  

 我々はある時代にいて、それ以前のすべてを再調査してその古典的テーマを再訪する。ローマ帝国は、シェークスピアからスタンレー・キューブリックに至るまでの多くの作家たちに興味を持たせてきた。ローマ人が文学や技術、芸術と建築、法律と政治などを我々にもたらしたからだ。彼らは行く先々に建築物を残した。つまり、軍隊は石屋と戦士の両方であった。だからヨーロッパはもとより地中海全域にわたって、今もその遺跡が見られる。文化的な視点から、これほど多くのことを成し遂げた文明でありながら、どうしてこのような野蛮な剣闘士ゲームの遺産があるのだろうか?

 我々は歴史の授業をするのではない。我々に必要なことは、この世界を再び訪問して、今日の観客にわかってもらえる方法で、歴史上の人物を解釈することである。40年前の映画では、あまりにも芝居がかったやり方で、この人物たちを扱う傾向があったが、それは今日的ではない。それはともかく、物語と登場人物はどの映画にも最も大切な二つの要素である。私は登場人物に近づき、そして実際に問題をかかえる人々の本当の姿を見たいと思った。  最高の配役を見つけることが、物語に重みと実体を与える。ラッセル・クローは我々にマキシマスとその英雄の旅を本当に信じさせてくれた。

 

私はいろいろな世界を創作することが好きだ。
そして世界のすべての面は物語のルールの中で機能しなければならない。
あなたが戦場のにおいを嗅ぎ、
黄金の都市の美しさと光を経験しなければならない。
映画はあなたをこの世界に引き込み、
あなたは西暦175年の一部になれる。  

リドリー・スコット

 

 物語の中で感情的に傷ついたコンモドゥスは効果的であったし、同様にホアキン・フェニックスの役割も効果的だった。同じ事はルッシラ役のコニー・ニールセン、プロキシモ役の故オリバー・リード、マルクス・アウレリウス役のリチャード・ハリス、そしてグラックス役のデレク・ジャコビにも言えた。
  私はいろいろな世界を創作することが好きだ。そして世界のすべての面は物語のルールの中で機能しなければならない。あなたが戦場のにおいを嗅ぎ、黄金の都市の美しさと光を経験しなければならない。映画はあなたをこの世界に引き込み、あなたは西暦175年の一部になれるのだ。  
 必然的なことだが、スポーツと映画という娯楽をローマ人と競技場の見世物にたとえることできる。大衆娯楽は、みんなが持つことができないか、あるいはすることができないような俗悪な経験も提供する。「現実逃避」という言葉は言外に良くない意味を含んでいるので、私自身は「陶酔する」、「高揚する」、あるいは「旅を始める!」という言葉の方が好きだ。ゲームの見方にについても多様なレベルがある。つまり、人気や凶暴性を見せるだけでなく、ゲームの持つ政治的動機への洞察も含まれているのだ。  
  製作面では、私が予期したように、ローマ帝国の再創造を、業界で最高の素晴らしい人たちが手伝ってくれたのでとても幸運だった。製作構想や映画撮影、編集、背景音楽の作曲、衣装、スタントや効果担当などの同僚たちが、持てる以上の力を発揮してくれた。マキシマス将軍のように、私には彼等なくしてこの旅は出来なかった。ほとんど製作も終わる頃、私はウォルターとダグに、「我々がローマを作り、ドナウ川から北アフリカまでのすべての戦いを終えて、ローマに帰ってきたような気分だ。」と言ったことを思い出す。  ローマのように、それは確かに1日では作られなかった。



 

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