現代に残る帝国  

この物語で描かれているのは、ローマの中心はもとより、ゲルマニアの森から北アフリカの砂漠に至るまで、古代ローマ帝国のかなりの範囲に及んでいる。映画製作にあたって最初の難題は、映画の舞台をいったいどこに再現するかということであった。スタッフは、各地を飛び回って場所探しをした。『グラディエーター』の細部の製作に携わったプロデューサーのブランコ・ラスティグは次のように言っている。「もちろん、この映画はかなり大がかりなものだ。適当なロケ地がなくてロサンゼルスのど真ん中にセットを作らなければならなくなったら、それこそ製作費が2、3倍ににもなっていただろう。」  最初、映画製作会社のスタッフはローマ帝国の遺跡があるところを訪ね歩き、遺跡の雰囲気をつかみながらロケ地にふさわしいかどうかを調べた。製作スタッフのアーサー・マックスは、次のように言っている。「魅力ある遺跡を探してイギリス、フランス、イタリア、東ヨーロッパ、北アフリカなどのかつてのローマ帝国を6週間歩き回った。

 


上:モロッコのタムダフトの廃墟と化したカスバ。

 

そして遺跡や博物館のコレクションを見て本物の姿を感じ取ろうとした。予想はしていたとは言え、ローマ帝国は、その遺跡から想像するよりもはるかに素晴しいものであったということが分かった。また残念ながら、ローマ帝国の遺物のなかでわれわれが近づくことができるのはほんのわずかであった。どの遺跡も歴史的に価値のあるもので、触れることが許されていなかった。これらは大変参考にはなったものの、私たちがスタントや群衆の撮影などに使うことはできなかった。そこで結局私たちは、過去の遺跡ではなく現実の場所を探さなければならなくなったのである。」  

彼らはヨーロッパや地中海沿岸地域を探し続けた。映画の前半部分でローマ軍とゲルマン民族との壮絶な戦いの場面があり、映画製作会社では、かつてのスロバキアの首都であったブラティスラーバ郊外の陸軍基地で撮影を行う計画をしていた。ドナウ河が注ぐ港でもあるブラティスラーバは、マルカス・オーレリアスが軍を率いて戦ったとことろの近くであった。しかし計画が早まり、冬も近づいていた。スロバキアで雪が降りすぎると撮影の進行に支障をきたすという心配がわき起こってきた。そこでリドリー・スコットは、ロンドンの近くで製作を始めようと考えるに及んだ。スコットは次のように述べている。「自分たちが大作に取り組んでいるということが分かったんだ。全てのセットをスロバキアに移して松の木に囲まれるようにするんだったら、イギリスで松の木に囲まれる方が無駄な歳月を省くことができると思うようになった。またそこで大がかりなことをやろうとしたら、ホテルから洗濯まで心配しなければならない。このようなことからゲルマン人のシーンについてはシーレイのファーンハム近くの森で撮影が行われた。 マキシマスは奴隷となり、鎖につながれて北アフリカに連れて来られる。

 

モロッコのエイ・ベン・ハドゥーの古代の城塞と城。北アフリカのほとんどの場面はここで撮影された。写真の全景はアーサー・マックスの撮影による。

 

 

そこではプロキシモが有望な剣闘士を買ってそして鍛えて小さな地方の広場で戦わせようとしていた。これらの場面の撮影のためにスタッフはモロッコのオウアザザトに行った。「ここはリドレイが以前から見つけていたところで、魔法のように思われます。エキゾチックでかつロマンチックなのです。古代の城下町で、背景にアトラス山があり近くにはモロッコの最も古くてすばらしい城塞があるのです。」とアーサー・マックスは言っている。  そして最終的にはローマである。リドリー・スコットは『白い嵐』の撮影に際して,マルタ島にやって来ていた。これは地中海の真ん中に浮かぶ小さな島の共和国であり、シシリー島の南端の沖でチェニジアの東にある。マルタ島は「要塞の島」としても知られており、前フェニキア人が6000年前に滅亡させて紀元前218年にローマ帝国の一部となった。スコットがかつてここを訪れた時に注目したのは、後にナポレオンが侵略する際に兵舎として使われた17世紀のスペインのリカソリ砦遺跡である。アーサー・マックスがスコットを伴い砦の候補地を探していた時に二人とも、古代ローマの中心とコロセウムを再現するにはここが理想的な場所であると確信した。

 

 

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